• 2017年12月3日

マーベルなどのアメコミ界で話題の「アキラ・ヨシダ」問題を考える

マーベルなどのアメコミ界で話題の「アキラ・ヨシダ」問題を考える

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鎖国。日本は200年近く己の殻に閉じこもっていた。それが良かったのか、悪かったのかは分からない。今では「そんな時代もあったよね、キャハハ」と言うほかはない。その後、日本は「文明開化」の道をひた走り、世界へ向けて大きく羽ばたくことになる。

いや、羽ばたき過ぎたのか。

世界の色々な文化が、知識が、私たちの間に瞬く間に浸透し、大きなイマジネーションとなって日本独自の新しいスタイルを生み出していったのである。白歴史なのか 黒歴史なのか分からない「ルーズソックス」、ちょっと気になる絶滅寸前の「ガングロギャル」、多くの少年たちの憧れだった連邦の…的な「白いモビルスーツ」、人間とは何ぞやを学んだ「妖怪人間ベロ」、悪魔にも人の心があるんだと感心させられた 「ドロロン 閻魔くん」、今では放送倫理規定に引っかかるであろう「ジャングル黒べえ」、コピーロボットが どれほど ほしいと思ったことだろうか「パーマン」、男なのに食い入るように見ていた「セーラームーン」。

そう、ジャパニメーションの誕生である。

今やジャパニメーションは世界に浸透し、「オタク」「コスプレ」という言葉まで一般的に使われるようになった。まさしく、西洋と東洋が融合したケミストリーであると言えるだろう。しかし、化学反応は何も良い結果ばかりを もたらしたワケではない。

副作用である…。

今回は「マーベルなどのアメコミ界で話題の「アキラ・ヨシダ」問題を考える」を記事にしたいと思う。

 

アメコミ界隈で話題の「アキラ・ヨシダ」問題とは何なのか

マーベル・コミックやダークホースコミックス、ドリームウェーブといったアメコミ界を代表する出版社で制作に携わり、西洋読者が求める内容を書き続ける非白人ライターと称されることもあった「アキラ・ヨシダ」。

「Conan nad Demons of Khitai(コナン・ザ・グレードなど)」や「X-MEN」などの人気作品を原作してきたことで知られていた。ヨシダが書いたストーリーの多くは、日本を舞台にしたり、東アジアらしき要素を盛り込んでいたりしている。

そんな中、11月28日に衝撃的なニュースが飛び込んできた。

マーベル・コミックの新編集長C.B.セブルスキー氏が、13年前にアキラ・ヨシダというペンネームを使っていたことを、コミック情報サイトBleeding Coolに告白したのだ。記事を執筆したBleeding Coolの創立者リッチ・ジョンストン氏によると、セブルスキー氏は2000年代初期、マーベル・コミックの編集者だった。

編集とコミックライターの兼業は規約で禁じられていたため、架空の人物という抜け穴を使って、編集者の仕事をしつつライター作業をやっていたという。過去にも、セブルスキー氏がヨシダを装っている疑惑が浮上していた。

他にもマーベル・コミックの社員やアメコミ界の関係者でヨシダの存在を証言する者はいたが、本人に直接会ったことがないという告白もあった。

会ったことがあると発言していた人々は、同じ会社で働いている日本人の翻訳者と混同していた、と後に証言している。

引用・出典:BuzzFeed NEWS

 

簡単にまとめると

この問題の詳細をもっと知りたいのであれば、上記のBuzzFeedの記事を読んでほしい。手っ取り早くこの問題の本質を知りたい方は、以下を見てほしい。大まかにまとめると、アメリカ特有の問題が見え隠れしている。

  • 白人がアジア人に成りすましてアメコミを執筆していた。
  • 日本のストーリーなど、他人の案を盗用し荒稼ぎした。
  • 将来有望なライターたちのチャンスを奪った。
  • アメリカ特有のホワイトウォッシングの問題。
  • TwitterなどSNSで激しく炎上。
  • 一方で、セブルスキー氏を擁護する人も少なからず存在する。

 

他者を欺く「能力」

なりすまし。それは他人なりすまし他者を欺く行為である。どの世界においても、この「なりすまし」による行為はこの星で日々行われているといっても過言ではない。ある者はがバレるのを防ぐために、ある者はお金を得るために、ある者は身分を隠すために、そしてある者は他人の人生を乗っ取るために なりすまし を行う。

それは誰しもが心の中にある「誰かになりたい」という歪んだ願望を叶えたいという思いがあるからかもしれない。

なりすまし は普段の私たちはあまり意識することはないが、日常生活では実は犯罪によく利用されている。いわゆる「オレオレ詐欺」である。息子になりすまし、になりすまし、警察官になりすます。

私自身、信じられないが、未だにこのオレオレ詐欺で何千万も払う人がいるのである。そういう人は家族と疎遠なのか、きっと関係が希薄なのだろう。人の孤独さに付け込む、この なりすまし は、まさしく許しがたい行為である。

だが、オレオレ詐欺が未だに無くならない様子をみると、この豊かな国日本には、家族との関係が希薄で孤独な老人がそれだけ多いということも意味している。飽食の時代とはいえ、日本が抱えるがそこには広がっているのではないだろうか。

このセブルスキー氏の場合はどうなのだろう…。

なぜ彼は「日本人」になりますしていたのだろうか? ご丁寧に日本人名である「アキラ・ヨシダ」を名乗り、まさしく日本人になりきってアメコミを執筆していたのは驚きである。この行為が許されるのかどうかは分からない。

日本だって、西洋風の名前を名乗っている人は芸能人にも大勢いそうだ。例えば、ショーン・K なんてどうみても外人の名前である。本人は思いっきり日本人であり、ホラッチョという衝撃的な あだ名まで付けられていた人物である。

彼の場合も同様にすっかり西洋人になりすまし、顔まで外人風に整形しており、それこそ徹底していたワケだ。逆にそこまで徹底して「なりすまし」で億単位の金を稼いでいたので、私は単純に尊敬している。まぁ、他者を欺いていたのはよろしくないが…。

ライアーゲームでも言っていたように、他者を騙し欺くのもまた「才能」なのである。

「欺く」「なりすまし」という行為は、ジャングルでいう「擬態」に少し似ているところがある。擬態は周りの環境の”あるもの”に「なりきる」行為だ。例えば、葉っぱになりきる「カマキリ」や「カメレオン」、枝になりきる「ナナフシ」などが代表的な生き物だろう。

彼らは厳しい生存競争に勝ち抜くために、あるいは生き残るために、他者を欺く術(すべ)をもっている。

ただし、人間はもっぱら「」のためだが。

ショーン・Kと同じく、セブルスキー氏にもまた「才能」があったのかもしれない。なにせ10年以上も日本人になりすまし 、実際に多くの人は「アキラ・ヨシダ」が実在する人物だと思っていたからだ。「嘘はいつの日かバレる」のは周知の事実だが、それでもこれだけ長い期間騙されていた人が多かったことは、驚きの一言しかない。

単に金儲けのために なりすまし ていたのか、それとも何かのキッカケがあったのかは分からない。

だが、動機は何であれ「大したもの」である。

 

アメリカ特有のホワイトウォッシングという問題

ホワイトウォッシング」という言葉を聞いたことがあるだろうか?これはアメリカの映画界において、白人以外の配役に白人俳優が起用されるという問題である。日本ではあまり問題にならないため、ホワイトウォッシングの何が悪いのかピンとこない人が大半だろう。

アメリカは日本と異なり「人種の るつぼ」である。アメリカは他民族国家ゆえに、白人、アフリカ系アメリカ人、アジア系アメリカ人、ヒスパニック系など日本とは比較にならないほど多く、様々な国々の人がアメリカン・ドリームを夢見て、アメリカにやってくるのである。

それほど多くの人種がいるにも関わらず、アメリカの映画会社の幹部の実に94%以上が白人でしめられている。

このため、映画会社の幹部たちは、アジア系の配役であっても「白人が演じたほうが興業的には儲かる」という思考のもと、現在に至るまでホワイトウォッシングが行われている。昔よりは随分と改善したが、それでもなおアジア系の地位は低く、その配役を白人が演じることが一般的である。

このホワイトウォッシングがセブルスキー氏の問題と、どう繋がっていくのか。

前項を読んだ人なら分かると思うが、セブルスキー氏の場合、アジア系である日本人を演じていたワケだ。これはアメリカの映画会社の考え方と似てはいないだろうか。セブルスキー氏は日本人に「なりすます」ことで、莫大な利益を手に入れている。

白人以外の配役を白人が演じたほうが興業的には儲かる」、まさしくその通りである。

しかし、現在のアメリカではこの考えに対して否定的な意見を持つ人が多くなっている。最近ではゴースト・イン・ザシェルの主人公をスカーレット・ヨハンソンが演じたことで、ネットで炎上し、「文化の窃盗だ」と揶揄されたばかりだ。

日本人からしたら、日本人の役をアメリカの方が演じたからといって炎上することはである。だが、アメリカでは人種的な差別や資本主義者に対する反発は日本とは比較にならないほど強い。アメリカ故の特殊な環境もある。

今回のセブルスキー氏の「アキラ・ヨシダ」問題も、こうした事情がありそうだ。

 

モラルと欲望は表裏一体

セブルスキー氏がなぜ他民族の名前まで使ってコスプレしていたかは謎だ。本人はこの先もきっと多くを語ることはないだろうが、彼を非難するツイッターの中に興味深い文章があった。それはこんな文章でまとめられていた。

誰もがみんなコミックを作るのにアジア人になりたがる。でも、誰もアジア人が作ったコミックなんて読みたがらない

まさに分かりやすい言葉だ。

始めこの記事を見たとき「なぜあえて日本人を名乗ったのだろうか…」と疑問だったが、それだけアメリカにおけるジャパニメーションの影響力が大きかったのかもしれない。私たち日本人にとっては今回の事件はさして問題にもならないだろう。

10年以上も架空の日本人を演じ続けたことは正直すごいが、同時に、多くの人を欺き続けたのも、また事実である。彼にはそれだけの「才能」があったのだろうが、モラルは欠けていたようだ。

彼は莫大な富を得た、しかし、多くの読者の反感と失望を買った。モラルと欲望は表裏一体。

彼はこれからもマーベルで働き続けるのだろうか…?

アメリカのホワイトウォッシングはこれからも続くだろう。