最近何かとあわただしい、オリンピックを巡る様々な問題。
競技場しかり、五輪エンブレムしかし・・・。
他国のオリンピックの不祥事を笑ってみている余裕は、完全になくなったのかもしれませんね。
そんな中、組織委員会が一転、五輪エンブレムの白紙撤回を発表しました。
強気のエンブレム継続発表から、突然の撤回発表会見。
再コンペを行うということですが、一体どうなっていくのでしょうか・・・??
五輪エンブレム 撤回 デザインの常識通じず
類似作品があると指摘されてきた2020年東京五輪のエンブレムについて、大会組織委員会は1日、仕様と続けるとしてきた説明を一転させて撤回した。
新国立競技場の建設計画に続く失態だ。
事態を悪化させた背景には、グラフィックデザインという狭い業界の慣れあいを指摘する声も出ている。
遅れた対応
「国民の支援がないエンブレムを使い続けることが、東京五輪を成功に導くというわれわれの氏名に合わないと考えた。」
1日に開かれた組織委員会の記者会見で、武藤敏郎事務総長は撤回の理由をこう説明した。
今回の騒動が持ち上がったのは、エンブレム発表から数日後の7月末。
ベルギーの劇場のロゴに似ているとの指摘が発端だ。
エンブレムをデザインした佐野研二郎氏他の作品でも「似ている」との指摘が相次いだが、組織委員はこの間、「エンブレムは著作権を侵害していない」と言い続けてきた。
8月2日にも記者会見を開き、登用をあらためて否定。
デザインの正当性を訴えたばかりだった。
純丘曜彰・大阪芸術大教授は「似ていると指摘されたときに問題を洗い直さなかったことが、トラブルを拡大させた」と対応の遅れを批判する。
線引き困難
法的に見て、デザインの盗用の線引きはどこにあるのか。
商標登録や著作権に詳しい平野泰弘弁理士は「非常に難しいが、丸、三角、四角といったシンプルなデザインほど裁判所は商標権、著作権の権利を狭く見る。つまり少しの違いがあれば別物だと判断する傾向にある。広く権利を認めると、創作活動が成り立たないからだ。」と解説。
「佐野氏の作品が著作権侵害に当たる可能性は低い」とみる。
都内のグラフィックデザイナーは「Tの文字でも、横の棒と縦の棒の組み合わせで1000種類以上ある。一般の人は同じに見えても、微妙な形の違いでデザイナーは別の作品と見なすもの」と業界の常識を説く。
今回は空港や街でのエンブレムの活用例で、画像の流用を認めた。
「佐野作品はオリジナル」と主張するこのデザイナーも「国民の皆さんに温かく迎えられるような環境を作れなかった点で、撤回も致し方ない」と残念がる。
甘え問題視
グラフィックデザイナーの田名網敬一・京都造形芸術大学は、業界の慣れあい体質を指摘する。
8月28日の組織委員会の会見で、エンブレムの審査委員代表だった水井一正氏から「シンプルな形は似てくることもある」との発言が出たことを問題視。
「絵画など他の芸術の世界では通用しない。デザインは多少似ていてもいいんだという甘えが業界内にある」と苦言を呈す。
そもそもグラフィックデザインのコンペでは業界が狭いため同じような顔ぶれになりがちな上に、今回は応募資格が厳しくて104点しか集まらなかった点にも疑問を投げかける。
「五輪のエンブレムなんだから、もっと間口を広げて公募するべきなのに」と指摘する。
田名網教授は「かつてのデザイナー強烈なオリジナリティーがあった。時代とともにデザインはこの程度でいいんだという感覚が広がっている」と懸念し、こう言った。
「似ていると言われたら似ていないものをつくる。それが創造を世界だ。佐野さんも業界も哀れですよ・・・」
ベルギーのデザイナーの問題は・・・
2020年の東京五輪の公式エンブレムが白紙撤回されてことを受け、自身が手がけたベルギーのリエージュ劇場のロゴと類似を指摘したデザイナー、オリビエ・ドビ氏は1日、共同通信の電話取材に「求めていたことでうれしい」と述べた。
ただ、劇場と共に地元裁判所に起こした国際オリンピック委員会(IOC)に対する使用差し止め請求訴訟については、「(大会組織委員会の)記者会見だけでは取り下げられない」として、当面継続数する意向を示した。
ドビ氏は、撤回を発表する記者会見で組織委が「私には無関係と思えることばかりを問題としたことは驚きだ」と指摘。
「(問題の)核心は劇場ロゴとエンブレムの類似にあったはず。類似が撤回の原因となったと認めるべきだった」と語った。
代理人のフィリップ・モタール弁護士も、組織委が劇場ロゴとエンブレムの類似を問題としなかったことに疑念を示し、「盗作の訴えの根拠はまだ残っている」と述べた。
同エンブレムとの類似品があると指摘されたスペイン・バルセロナのデザイン事務所「ヘイ・スタジオ」は共同通信の取材に「コメントは控えたい」と述べた。
やむを得ないに尽きる
今回の五輪エンブレムの撤回は、私は『やむを得ない』という思いが非常に大きい。
例えプロのデザイナーの世界で通用するとしても、それが一般の大衆に受け入れられるものとは言えないからだ。
優れたデザインよりも、受け入れられるデザインといったところだろうか。
まぁ、この考え方にも一長一短があるだろうが・・・。
そにしても、今回の組織委員会の対応が後手後手に回り、一転して白紙撤回したことに問題があるように思う。
なおかつ、コンペの選考過程が不透明であり、コンペで選ばれた佐野氏と関係が深い人達が審査員などに加わっていた。
また、組織委員会の原案の公表の遅れや、記者会見の対応もまずかったことも原因だろう。
組織委員会の会見は、後半あまりにも苦しく、重々しい雰囲気だった。
かつての、「STAP細胞問題」の釈明会見と重ねて見ていた人も多かったのではないだろうか。
今まで数々のお粗末な釈明会見や謝罪会見をテレビで見てきたが、その教訓を活かすのはなかなか難しいようだ。
「透明性」と「スマートな会見」こそが、今後のコンペに求められるものだと思う。
提案
今は、ネット全盛の時代。
あらゆる情報は、Twitter、FacebookなどのSNSを通して、拡散されるのが日常茶飯事である。
それならばいっそ、今後のコンペは、制限を設けずに、広く一般からも公募してみてはどうだろうか?
プロ・アマ問わず、幅広い年代からデザイン案を募り、オープンな場で選考したほうが、大衆の共感を得られやすいだろう。
例え、選ばれたものが小学生の「味のあるデザイン」だったとしても、それはそれで面白そうだ。
「小学生が描いたオリンピックデザインなんて見たことないっ!!」
という感じで、意外に世界中の人たちから共感を得られるかもしれない。
良いデザインかどうかは問題ない、と私は考えている。
”大人も子供一緒になってオリンピックを盛り上げる”
これこそが、オリンピックを成功させる一番の近道だと思うからだ。
2020年の東京オリンピック、福島の復興の意味合いも兼ねて是非とも成功させたい。