韓国 の責任を強調
戦後70年談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」の報告書は、近年の日韓関係をめぐり、
韓国政府が「歴史認識問題において、『ゴールポスト』を動かしてきた」と批判的に論じた。
「ゴールポスト」とは、和解の合意点の例え。
日韓両国が和解に至りそうになるたび、韓国側がハードルを上げて「ゴールポストを動かす」
ために合意が遠のくという主張で、保守系有識者が韓国側を批判する際に使われる表現だ。
報告書は、韓国側も村山談話や従軍慰安婦問題で償い金を支出した「アジア女性基金」などの
日本の対応を一定評価していたのに、「今になっても否定的な対日観が強く残り、韓国政府が対日政策に反映させている」と指摘した。
さらに「いかに日本側が努力しても、将来の韓国政府が取り組みを否定する歴史が繰り返されるとの指摘が出るのも当然だ」と韓国側の責任を強調。
「韓国政府も一緒に考えてもうらう必要がある」と求めた。
中国との関係では、日中両国の努力に一定の評価をした。
中国側の日本の戦争責任に対する姿勢は、一部の軍国主義者の責任と一般の国民を分ける「軍民二元論」で一貫していると分析。
両国の和解の取り組みは「不幸にもうまく合致していなかった」としつつ、
「習近平国家主席も日中戦略的互恵関係の継続を明言している」と期待感を示した。
韓国政府の反発
韓国政府当局者は6日、21世紀構想懇談会の報告書について、「韓日関係改善に向けた韓国政府の努力に逆行するだけでなく、歴代内閣の歴史認識を受け継ぐとのこれまでの日本政府の発言にも反する」と批判した。
さらに当局者は「報告書の内容の一部は戦後の韓日関係について一方的でこじつけの主張だ。両国国民の和解につながらない」と強く反発した。
報告書が植民地支配への謝罪の必要性に触れていないことに対し不満を示したとみられる。
パククネ大統領は3日に民主党の岡田克也代表と河野談話に言及した上で「歴代内閣の談話の歴史認識を確実に再確認することで、両国関係が未来に向かう大きな土台になることを期待する」と表明していた。
引用:中日新聞 総合2面
韓国 70年談話 21世紀構想懇談会の報告書
特に気になるのは「韓国との和解の70年」の箇所だ。
まず報告書を読んだ感想は、「非常によく出来た歴史教科書」といった感じを受けた。
歴史的な事実を踏まえ、日本の取り組みの経緯をより詳しく記述している。
今までの村山・河野談話よりも、数倍優れていることは疑いようもないだろう。
詳細は是非、「21世紀構想懇談会の報告書」を読んでほしい。
ざっくり言うと・・・
- 日韓間の財産・ 請求権問題は「完全かつ最終的に解決している」
- 中曽根首相が全斗煥大統領との間で40億ドルの経済協力に合意し、日韓関係は大きく前進した。
- アジア平和国民基金(アジア女性基金)による事業を行うなど、日韓間の距離を縮める努力を進めた。
- 竹島については、李明博大統領による一方的な行動により、その態度は硬化することとなった。
- 日韓基本条約を平然と覆そうと試みるのを見て、韓国人への不満を募らせていった。
- 世界の繁栄と安定、お互いの重要性につき韓国との対話を重ねていく必要がある。
- 永続する和解を成し遂げるための手段について、韓国政府も一緒になって考えてもらう必要がある。
終戦から国交正常化まで
1910年から終戦までの35年間、日本による韓国の植民地統治は、1920年代に一定の緩和もあり、
経済成長も実現したが、1930年代後半から過酷化した。
日本の植民地統治下にあった韓国にとり、心理的な独立を達成するためには、
植民地支配をしていた戦前の日本を否定し、克服することが不可欠であった。
1948年に独立した韓国は、サンフランシスコ講和会議に戦勝国として参加して日本と向き合おうとしたが、講和会議への参加を認められず、国民感情的に割り切れない気持ちを抱えたまま戦後の歩みを始めることとなった。
更に韓国の立場を複雑にしたのは、冷戦下の国際情勢において、
西側陣営の国として日本に協力しなければいけない状況に置かれたことである。
同じ朝鮮半島でも、東側陣営に入った北朝鮮が、
日本は拒絶する相手だと割り切ることができたのに対し、
韓国にとり日本は理性的には国際政治において協力しなければいけない国である一方、
心情的には否定、克服すべき相手であるという点でジレンマが生じることとなった。
戦後70年間の韓国の対日政策は、この理性と心情の間で揺れ動いてきたものであると言える。
日本と韓国は、1951年に予備交渉を開始してから実に14年間で、
7次にわたる本会議での交渉を経て国交正常化を達成するに至る。
対日政策において理性と心情が交差する韓国にとり、1965年の日韓国交正常化は、
朴正煕政権による理性的な決断であった。
日韓請求権・経済協力協定において、日本は、朴正熙政権に、
当時の韓国の国家予算の約1年半分に相当する5億ドルの経済協力(無償3億ドル、有償2億ドル)を提供した。
同協定第二条は、日韓間の財産・ 請求権問題が「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と記している。
国交正常化から現在まで
朴正煕大統領が在任中の日韓関係では、金大中氏の拉致事件や朴正煕大統領暗殺未遂という韓国国民の国民感情を刺激する事件が起きたが、冷戦下における日韓協力を重視する朴大統領の現実主義的な考えの下、日韓関係は比較的安定していた。
朴正煕大統領暗殺後においても、1970年代後半から80年代にかけて、日韓関係は安定的に協力関係を発展させる時期を迎える。
特に80年代においては、日韓関係強化に積極的であった中曽根首相が全斗煥大統領との間で40億ドルの経済協力に合意し、
これを契機とした全斗煥大統領の訪日により、日韓関係は大きく前進した。
この時期日韓関係が前進した背景には、冷戦下の国際情勢において日本、
韓国双方が様々な困難を克服して合理的な判断に到達したということがあった。
1987年に民主化を達成した韓国は、1988年のソウル五輪を成功させ、 経済成長と共に国際的な地位を高めていく。
民主化され、強権的な政治体制ではなくなったことにより、
韓国国内において理性ではなく心情により日本との関係を再考するための障害はなくなった。
この時期、慰安婦問題に関心が集まるようになった。
日本は1990年代前半から半ばにかけて河野談話、村山談話を発表し、
韓国人元慰安婦に対して女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)による事業を行うなど、
日韓間の距離を縮める努力を進めた。
その後、1998年に大統領に就任した金大中は同年、小渕恵三首相との間で日韓パートナーシップ宣言を発表し、
日韓両国が未来志向に基づき、より高い次元に二国間関係を高めていくことが合意された。
日韓パートナーシップ宣言において、小渕総理は、
「今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べ」、金大統領は、「かかる小 渕総理大臣の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価すると同時に、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な 関係を発展させるためにお互いに努力することが時代の要請である」旨表明した。
しかし、この良好な日韓関係は金大中の後の盧武鉉政権において変化する。
盧武鉉政権には「386世代」が数多く参加していた。
1990年代に30代であり、80年代に大学を卒業し、60年代に生まれたこの「386世代」は、
1980年代に理性を重視し、国内の心情を抑圧した強権的な政権に大いに反発していた世代であり、
盧武鉉政権内において極めて反日的な理念を主張した。
盧武 鉉大統領は、就任当初は小泉首相との間で首脳のシャトル外交に合意する等の姿勢も見せていたが、やがて世論に押され、2005年3月の三・一独立運動記念式典における演説にて日本に謝罪と反省を求め補償の必要性にも言及するようになった。
盧武鉉政権が対日姿勢を変化させた背景には、
「386世代」が政権内で反日的な主張を展開したこともあったが、
当時の日本側の動きが韓国の国民感情を刺激していた面もあった。
また、2002年のサッカーワールドカップや日本における韓流ブームを通じて日韓国民間の交流は増えたが、同時に日韓双方の国民のお互いへの不満も蓄積されていった。
相互交流が増えた当初、日本人が自分と同じ考えを持っていると期待した韓国国民は、
歴史問題を始めとする諸課題につき、
時間の経過と共に日本との感覚の違いが明らかになってくるにつれ、
当初の期待が裏切られたと感じ、憤りを覚えるようになった。
ただし、 この感情は、韓国国民が日本人に対して一方的に抱いたものでなく、
日本国民も同様に、当初同じ考えを持っていると期待した韓国人が、
日韓基本条約を平然と覆そうと試みるのを見て、また法の支配に対する考えの違いに愕然とし、
韓国人への不満を募らせていった。
2008年に10年ぶりの保守系政権として李明博政権が誕生すると、
日本は同大統領が理性に基づいた対日政策を選択し、
盧武鉉政権で傷ついた二国間関係が改善することを期待した。
李明博大統領は、日米との関係強化を推進し、
未来志向に基づいた日韓歴史共同研究(第二期(第一期は2002年-2005 年))を始める等、
就任当初は理性に基づき日本との関係を管理するかに思われた。
しかし、2011年8月に韓国憲法裁判所が、
韓国政府が慰安婦問題について日本と交渉を行わないことは憲法違反であるとの判決を出すと、
同大統領の対日政策は変化し、国民感情を前面に押し出して日本に接するようになる。
同年12月に行われた日韓首脳会談において、
李明博大統領は慰安婦問題につき日本が誠意を示すよう求め、
また、2012年8月には竹島に上陸し、
李明博政権末期には日韓関係はこれまでで最悪の状態に陥った。
竹島については、自ら問題を大きくする意図は有していなかった日本であるが、
李明博大統領による一方的な行動により、その態度は硬化することとなった。
李明博政権の後半から悪化した日韓関係は、韓国政権が朴槿惠政権に替わっても、
改善の兆しが見えない状況が続いている。
朴槿惠大統領は、李明博政権下で傷ついた日韓関係の修復に取り組むどころか、
政権発足当初から心情に基づいた対日外交を推し進め、
歴史認識において日本からの歩みよりがなければ二国間関係を前進させない考えを明確にしている。
盧武鉉、李明博という過去2代の大統領が就任当初は理性に基づいて日本との協力関係を推進したのに対し、
朴槿惠大統領は、就任当初から心情を前面に出しており、これまでになく厳しい対日姿勢を持つ大統領である。
この背景には、朴大統領の慰安婦問題に対する個人的思い入れや、
韓国挺身隊問題対策協議会のような反日的な団体が国内で影響力があるということもあるが、
それに加えて、韓国の中で中国の重要性が高まり、
国際政治における日本との協力の重要性が低下していることが挙げられる。
中国の重要性が高まった背景には、
中国への経済的依存度の高さや朝鮮半島統 一問題における中国への期待の高まりがある。
韓国との和解の70年への評価
第二次大戦後の70年を振り返れば、韓国の対日観において理性が日本との現実的な協力関係を後押しし、心情が日本に対する否定的な歴史認識を高めることにより二国間関係前進の妨げとなってきたことがわかる。
未だ成し遂げられていない韓国との和解を実現するために我々は何をしなければいけないかという問いへの答えは、韓国が持つ理性と心情両方の側面に日本が働きかけることであると言える。
理性への働きかけにおいては、日本と韓国にとって、
なぜ良好な日韓関係が必要であるかを再確認する必要がある。
朴槿惠政権が中国に依存し、日本への評価を下げたことにより、
同政権が日本と理性的に付き合うことに意義を見出していない現状を見てもこのことは明らかであろう。
このためには、自由、民主主義、市場経済といった価値観を共有する隣国という側面だけではなく、
二国間の経済関係やアジア地域における安全保障分野における日韓協力がいかに地域、
そして世界の繁栄と安定に重要かといった具体的事例を持って、
お互いの重要性につき韓国との対話を重ねていく必要がある。
朴槿惠大統領の日本に対する強硬姿勢は最近になり変化の兆しを見せており、
経済界における日韓間の対話は依然として活発であるところ、
政府間の対話も増やす余地はあると言える。
心情への働きかけについては、日本は、特に1990年代において河野談話、
村山談話やアジア女性基金等を通じて努力してきたことは事実である。
そして、これら日本側の取組が行われた際に、
韓国側もこれに一定の評価をしていたことも事実である。
こうした経緯があるにもかかわらず、今になっても韓国内で歴史に関して否定的な対日観が強く残り、
かつ政府がこうした国内の声を対日政策に反映させている。
かかる経緯を振り返れば、いかに日本側が努力し、その時の韓国政府がこれを評価しても、
将来の韓国政府が日本側の過去の取組を否定するという歴史が繰り返されるのではないかという指摘が出るのも当然である。
しかし、だからと言って、
韓国内に依然として存在する日本への反発に何ら対処しないということになれば、
二国間関係は前進しない。
1998年の日韓パート ナーシップ宣言において、
植民地により韓国国民にもたらした苦痛と損害への痛切な反省の気持ちを述べた小渕首相に対し、
金大中大統領は、小渕首相の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価し、
両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるために、
お互い努力することが時代の要請であると述べた。
にもかかわらず、その後も、
韓国政府が歴史認識問題において「ゴールポスト」を動かしてきた経緯にかんがみれば、
永続する和解を成し遂げるための手段について、韓国政府も一緒になって考えてもらう必要がある。
二国間で真の和解のために韓国の国民感情にいかに対応するかということを日韓両国がともに検討し、
一緒になって和解の方策を考え、責任を共有することが必要である。
未来へ向かうことの意義
米ソ冷戦が終わり、共産主義体制にほころびが見え始めた第二次大戦後から、まもなく70年。
1週間後の2015年8月14日に首相が未来志向の談話を発表する。
この談話の内容がどうなるのかは、正直わからない。
「21世紀構想懇談会の報告書」をどのように、活用するかは首相の裁量だからである。
だが、確実に言えることは、どんな内容であれ「中国・韓国」は必ず反発し、
「軍国主義」というレッテルを声高に叫ぶだろう。
河野談話・村山談話を経て、私たち日本は「反省・謝罪」を繰り返してきた。
しかし、どれだけ「反省・謝罪」をしても、両国は決して許さないのが現状である。
それどころか、ますます国際社会において、対日政策を強めている・・・。
戦後の私たちは、私たちなりにこれらの国々に誠意をもって最大限努力してきたはずである。
だが、中国・韓国は、歴史認識を政治的なカードに利用し、世界中に「日本=犯罪者」というレッテルを叫んできた。
この強硬的な対日政策はは、実に現在に至るまで40~50年以上続いてきたのである。
戦後生まれで、戦争を体験していない世代にまで、その罪を背負うように執拗に求めてきたわけだ。
これに違和感を感じている日本人は、きっと私だけではないだろう。
今後発表される談話がどんな内容であれ、「未来志向」の談話であってほしいと思う。
「日本は二度と侵略戦争はしない」「混迷を深める国際情勢に対して、どのように日本が関わっていくのか?」を盛り込んだ内容にしてほしい。
中国・韓国はきっと反発するだろうが、そんなことを気にしてはいけない。
この談話は中国・韓国に向けたものではなく、日本国民のための談話にしてほしいからだ。
最後に、安倍首相の談話が、日本の未来の指針となる良いキッカケになることを願う。