• 2017年4月24日

台湾で相次ぐ銅像破壊事件。 今、台湾で何が起きているのか?

台湾で相次ぐ銅像破壊事件。 今、台湾で何が起きているのか?

台湾で相次ぐ銅像破壊事件。 今、台湾で何が起きているのか? 700 433 パソコン生活サポート Pasonal

八田與一の銅像が破壊される

八田與一の銅像が破壊される

本日早朝、烏山頭ダムのほとりにたたずむ八田與一の銅像の首が切断され、持ち去られているのが発見された。16日夜になっても頭部は未だ行方不明であり、ダムを管理する嘉南水利会は「あまりにも悪劣」と憤りを隠せない。

警察によると、本日午前6時すぎに嘉南水利会の関係者が銅像の前を通りかかった際に頭部が切断されているのを発見。すぐに楊明風・水利会理事長に急報するとともに警察に通報した。警察は鑑識を現場に派遣し証拠収集するとともに付近の監視カメラの映像を調査しているという。

警察側もこの事件を深刻なものと捉えており、初動捜査の段階ではノコギリによって切断されたものではないかと判断している。

事件を受け、頼清徳・台南市長は5月8日に予定されている毎年恒例の八田與一慰霊祭までに銅像を修復するよう指示するとともに、慰霊祭は予定通り実施するとした。

また、事件を聞いた奇美実業グループの創業者、許文龍氏の指示により奇美博物館も銅像修復への協力を申し出た。午後には、博物館顧問と彫刻家を現場に派遣し、銅像の切断状況を検証した。

そのうえで、持参した許文龍氏制作の八田與一の半身像と切断された銅像に接合出来るかを確認。その結果、接合は可能とされ、作業は一週間以内に完了する見込みだという。

ちなみに、奇美博物館が接合を申し出た半身像は烏山頭ダムの銅像をモチーフにしたもので、合計3体が制作されており、日本・嘉南農田水利会(烏山頭ダムの八田與一記念室)・奇美博物館にそれぞれ置かれているものだという。

前出の楊明風・水利会理事長はメディアに対し「(八田技師の)台湾への貢献は偉大だ。銅像にこんなことをされても、台湾の八田技師への評価が変わることはない」と話している。

出典:日本李登輝友の会

 

八田興一という人物

八田與一の銅像

日本では歴史上の人物といえば、戦国時代をイメージする人が圧倒的に多いと思います。

豊臣秀吉や、織田信長、武田信玄など、ドラマはもちろん、マンガやアニメにもなっているため、その影響もあるでしょう。ですが、「八田興一」と聞いてピンとくる人はそんなに多くないと思います。

彼は石川県の金沢市に生まれ、水利技術者として活躍していた人です。彼の功績は、日本よりむしろ台湾において色濃く残っています。

時は1918年(大正7年)、当時台湾はまた非常に貧しく、風土病が台湾全土を覆っており、住民は苦しい生活をしていたといいます。そこで日本政府は、台湾の衛生状態の改善や農業の改革を行うべく、様々な対策を採りました。

とはいえ、生活の質を改善することは並大抵の努力ではなく、一朝一夕ではできません。何故なら、人が生活する上で最も大切なのは、水と食料だからです。やせ細った大地、風土病が蔓延する土地では、生活の質を改善することは非常に困難なのです。

水は豊かな土壌を育み、実りある穀物を育てる。

何をするにもまずは水が必要不可欠な存在なのです。

そこで台湾でまず行われたのが水利工事です。灌漑用(かんがいよう)の農業水を張り巡らすことで、痩せた大地に水を運び、穀物による自給率を上げることができるからです。とはいえ、そんな簡単に工事ができる訳ではありません。当時はショベルカーやダンプカーなどがなく、工事は全て手作業なのです。

また、水を貯めておくダムも必要になります。

現在の技術でもダムを作るためには、非常に高度な知識と技術、莫大なお金が掛かります。1918年当時のことを考えると、尚更でしょう。

八田興一は、そんな台湾で大きな功績を遺した偉人として、現在の台湾で祭られています。

興味がある方は、彼の軌跡を辿ってみるといいでしょう。

参考資料:八田興一Wiki

参考資料:フォーカス台湾

 

今後は蒋介石の像が破壊

蔣介石の像は高さ約1・5メートルの座像。地元報道によると、首から上が切り取られて赤い塗料がかけられ、台座には「228元凶」などと書かれていた。

蔣介石が率いた国民党による台湾の民衆弾圧事件「二・二八事件」(1947年)を指すとみられる。警察が調べているが、誰が行ったのかは分かっていない。

蔣介石像の破壊は2、3月にも起きていた。

今月16日には、台南市の烏山頭(うさんとう)ダムに置かれた日本人土木技師・八田与一の銅像が壊されているのが発覚。

日本統治期を象徴する八田像の破壊は、戦後の国民党統治を象徴する蔣介石像の破壊への報復とみる見方が地元にはある。

今回も過激な政治的主張の表現が刺激し合っている可能性がある。

出典:Yahooニュース

 

台湾独立派と中華統一派のせめぎあい

この事件を深く知るためには、台湾という国の歴史を知る必要があります。

台湾は昔から様々な国によって統治されてきました。

  • 1600年代初頭はオランダによる統治
  • 1600年代後期は中国(明鄭)による統治時代
  • 1900年代は日本による統治時代
  • その後は、中国による統治時代

台湾はまさしく周辺諸国によって翻弄されてきた数多くの歴史があります。

民族・侵略の歴史・数多くの事件・・・。

特に中国には何度も侵略されており、中国は台湾を手に入れるために、植民地政策の常套手段である入植者を数多く住まわせました。

そのため、民族同士の争いや歴史的な事件などが数多く起こっています。日本統治に起こった霧社事件や、中国による戦後の台湾人虐殺事件である228事件などです。

時は移ろい、現在、近年で最も軋轢が深まっているのが、「台湾独立派」と「中華統一派」によるイデオロギー対立です。

今回の銅像破壊事件は、この対立する組織が発端となっています。

 

台湾における日本統治時代とイデオロギー対立

台湾でも日本統治時代が長く続きましたが、韓国と大きく違る点は、日本統治時代が概ね肯定的に評価されている点です。

韓国は日本統治時代は暗黒時代であり、民族虐殺・抹殺の象徴でもあり、恥ずべき時代と教えられています。そのため、日本統治時代に建てられた建築物や木々などが根こそぎ破壊されてしまいました。

それとは逆に台湾では、確かに日本統治時代にも様々な事件が起きたが、台湾の発展にも同様に寄与したという認識であり、必ずしも韓国のように暗黒時代という認識は持っていません。

もちろん日本統治時代も良いことばかりではなく、事件も少なからず起きていましたが、八田興一や吉原小造のように、台湾の発展のために人生を捧げた日本の人々も数多くいたからです。

そのため台湾では、日本統治時代に建てられた建造物や文物が数多く残されています。

それを決めたのは(残そうと決めたのは)他ならぬ、台湾の人々なのです。

その日本統治時代の象徴が「八田興一」の銅像と言えます。

ですが、日本統治時代を疎ましく思っている人々(外省人)からしてみれば、八田興一の銅像は中華統一を阻む邪魔な存在と映っていることでしょう。

なぜなら中国にとって日本は永遠の敵であり、台湾統一を果たすための邪魔な存在でしかないからです。

そのため、中国政府の後ろ盾を得た一部の人々が台湾国内で工作活動を広げています。

それにより、台湾国内のイデオロギー対立が刺激され、今回のような銅像の破壊の連鎖に繋がっているのです。

参考資料:MAG2NEWS

 

日本も・・・

台湾政府からしてみれば、「中国に飲み込まれたくない」「だけど経済的には中国との付き合いは必要だ」という葛藤に常に揺れています。

今回の銅像破壊の名を借りたイデオロギー対立は、そんな葛藤を抱える台湾の人々の水面下の「せめぎあい」が表面化しただけにすぎないと思います。日本も同様に石碑や銅像を巡る歴史対立がちらほらと表面化しています。

世界のパワーバランスの均衡が大きく揺れ動いている昨今、私たち日本も対岸の火事ではありません。小さな火種がやがて大きな火事になることを、私たちは幾度となく経験しているからです。

世界はどこへ向かうのでしょうか・・・。

今、世界が再び岐路に立たされています。

取り急ぎ、今日はここまで。

画像出典:台湾ナビ